忍者ブログ
Dummy
[1] [2
[PR]
2019/11/13 (Wed)
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2017/03/22 (Wed)
今回紹介する Cittie of Yorke というパブは、ロンドンの歴史あるパブのことをまとめたページなどでは必ず紹介されており、ロンドンを代表する歴史的パブの一つと言っていいだろう。

店の名前も歴史を反映して中英語期に使われていたような、 Cittie of Yorke という綴りになっている(現代英語に直せば City of York)。この名前自体は20世紀になってから付けられたもののようだが、この場所には中英語期末期の1430年頃からパブがあったそうで、中英語風の綴りも伊達ではないと言える。

15世紀以来600年近くにわたる歴史を誇るパブだが、現在の建物は1920年代に建て替えられたもので、イギリスの建物としてはそれほど古くはない。しかし、細い入口の廊下を抜けて中に入ったところにあるホールの中は、天井が吹き抜けになっており、中央のカウンターの背後には大きな昔のビール樽が並べられ、また、壁際にはコンパートメントのような半個室が並び、その辺にある普通のパブとは明らかに異なる風格がある。地下には中世以来のセラーがあり、夕方以降はここでもビールが飲める。



店の前に吊り下げられた看板には、Beer brewed at Yorkshire's oldest brewery と書かれている。ヨークシャーで最も古いビール醸造所というのは、1758年に北ヨークシャーの Tadcasterという町に作られた Samuel Smith という醸造所で、Cittie of Yorke はこの醸造所直営のパブである。宣伝文句によると、Samuel Smithのビールは、ロンドンで飲める唯一の木の樽から注がれる生ビールだそうである(イギリスの生ビールは大抵の場合、日本で使われているのと同じような、kegと呼ばれるアルミ製のビール樽に入っている)。

Samuel Smithの生ビールは、クセがなく飲みやすいので、ビールがあまり得意でない人でも美味しく飲めるだろう。ロンドンには、Cittie of Yorke以外にも、有名な歴史的パブ Ye Olde Cheshire Cheese をはじめ、 Samuel Smith直営のパブがいくつかあり、そこでは同じビールを飲むことが出来る。ロンドンの街中を歩き疲れたら、Samuel Smithのビールで一休みするのがお勧めである。



PR
2016/09/14 (Wed)

テムズ川の北岸にある「シティ」(The City of London)の向かい側、テムズ川の南岸にはサザク(Southwark)と呼ばれる地区がある。そして、シティとサザクとは「ロンドン橋」(London Bridge)という橋で結ばれている。ここにはアングロ・サクソン時代から橋があったそうで、近代初期まで、ロンドン付近ではこれがテムズ川に架かる唯一の橋でもあった。 

シティの側からロンドン橋を渡ってすぐ右手にはサザク大聖堂(Southwark Cathedral)があり、そのすぐ隣にはバラ市場(Borough Market)という、1000年以上の歴史があるロンドン最古の食品市場がある。このように、サザクは非常に古くからロンドンの中心部と橋で結ばれ、人々で賑わう場所であった。そのため、この地区には古くから宿屋や飲食店などが多く集まっていた。シェイクスピアが活躍したことで知られているグローブ座のような劇場もこの地区に作られた。 

サザクにある歴史的なパブとしてよく知られたものに The George Inn がある。現在ナショナルトラストにより保存されているこのパブが営業を始めたのは16世紀のこととされているが、現在残っている建物は1677年に再建されたものだという。

気候の良い季節の夕方、ロンドンでは、パブの外の路上でビールを飲みながら談笑する多くの人々があちこちに見られるが、そういう季節には The George Inn の広い中庭も仕事帰りの人などで大いに賑わっている。シェイクスピアやチャールズ・ディケンズのような文豪たちもこのパブを利用したと言われており、彼らもこの中庭で友人たちと談笑していたのかもしれない。

 

個人的な感想としては、このパブで売られているビールについては、あまり特筆すべきものがないように思うものの、17世紀以来使われている建物(特に内部)を見ながら、このパブの何百年にもわたる歴史に思いをはせるのはなかなか楽しい。

このパブのすぐ裏手には、かつてもう一つ別のパブ The Tabard があった。このパブ(宿屋)は、14世紀後半に活躍した「英詩の父」ジェフリー・チョーサー(Geoffrey Chaucer)の『カンタベリ物語』(The Canterbury Tales)の中にも言及されており、中世以来の歴史を誇る。残念ながら、The Tabard の方は(The George Innとの競争に敗れ?)19世紀に廃業してしまって現存しない。しかし現在でもこのパブのあった場所には以下のようなプレートが掲げられている。The George Innに行ったついでに、The Tabardの跡地にも足を延ばしてみるといいだろう。

2015/01/05 (Mon)


日本ではちょっと時間つぶしに喫茶店に入ったり、友人と少し話すのにコーヒーを飲みに行ったり、ということが多いですが、イギリスではそういう際にパブを利用する人が多くいます。多くのパブは昼頃から開いており、特に日中は喫茶店感覚で使われています。最近では無料WiFiの使えるパブが多く、インターネットを使うためにパブに行く人もいます。

パブにもいろいろな種類のものがありますが、歴史あるパブは建物に風格があり、特別な雰囲気を楽しめます。ちなみに、パブ(pub)とは public houseの略で、エールやビール、ワインやウィスキーなど酒類を中心に出していますが、ジュース類や紅茶、コーヒーなども飲むことが出来ます。

ロンドンの地下鉄にブラックフライヤーズという駅があります。この一帯がブラックフライヤーズと呼ばれる土地であることから付いた駅名です。ブラックフライヤーというのはカトリックのドミニコ会に属する修道士のことを表す言葉です。ドミニコ会士は黒いマント状の服を着ることからこのような呼び名で呼ばれてきました(friarとは托鉢修道士のこと)。ブラックフライヤーズという地名は、もともとこの地にドミニコ会の修道院があったことに由来するものです。

修道院自体は16世紀前半、ヘンリー8世の時代の修道院解体の際に解体されなくなってしまいましたが、その後も地名は使い続けられ、かつてここにドミニコ会の修道院があったことを現在に伝えています。

さて、このブラックフライヤーズ駅のすぐ目の前、かつて修道院があったその場所に、現在ではThe Blackfriar というパブがあります。外部の壁面やや上方に大きく書かれたパブの名前の感じからも既に普通のパブとは違う趣が感じられますが、内部の薄暗い灯りに照らし出されたアールヌーボー風の内装は圧巻です。壁一面に修道僧の彫刻が施されており、そこには在りし日の修道院生活の様子が描かれています。



この建物自体は1905年に建てられたもので、イギリスの建物としてはそれほど古くもありませんが、内部のアールヌーボーの装飾は「第二級」という等級が付いており、歴史的建造物として保存の対象にもなっています。

ブラックフライヤーズ自体にはあまり観光スポットはないかもしれませんが、セントポール大聖堂のすぐ近くで、ロンドン塔からもそれほど遠くない場所ですので、この辺りを観光したついでに休憩がてらこのパブまで足を延ばしてみる価値は大いにあると思います。

2014/09/01 (Mon)


イギリスの2ポンドコインにもいろいろな図柄のものがありますが、昨日パブの支払いのおつりとしてもらったものははじめて見る柄で、ちょっと珍しいものだったので、それについてここに書くことにしました。

この2ポンドコインは1663年にギニー硬貨がはじめて発行されてから350周年を記念して2013年に発行されたもので、王立造幣局のホームページによると記念硬貨として10ポンドで売られているもののようです。10ポンドで買っても、普通に使おうとした場合、価値は2ポンドしかないので、これを使う人はほとんどいないと思われ、普通に流通することはごくまれなのではないかと思われます。

ギニー硬貨というのは、イギリスの貨幣としては初めて機械で鋳造された金貨としてしられ、金が多く取れた西アフリカのギニアにちなんでこのような名前になっているそうです。ギニー硬貨は1813年まで発行されていたようです。

上記のように、この2ポンドはギニー硬貨発行を記念したものですが、硬貨の記念のための硬貨といいうのはこれが初めてだそうです。

コインの図柄は王家の紋章ですが、よく見ると現在の紋章ではなく、ジョージ1世が即位し、ハノーバー朝が始まった時以来、1801年のアイルランド併合の際にジョージ3世が紋章を改訂するまでの間使われた紋章になっています。この紋章のギニー硬貨が最も広く使われよく知られていることから、それを再現したということのようです。王家の紋章の変遷については、こちらも参照。


2013/02/13 (Wed)
gibraltarcoin.JPGちょっと珍しいコインの第一弾第二弾に続き、第三弾として今回は再びジブラルタルの1ポンドコインと関連する話題。

今回紹介するコイン(写真)は、頭蓋骨の図柄で、やや不気味な感じがしないでもないが、下に小さい文字で書いてある言葉を読むと、なぜ頭蓋骨がジブラルタルのコインに描かれているのかが分かる。そこには、Discovery of Neanderthal Skull in Gibraltar 1848 と書かれている。というわけで、かつてジブラルタルでネアンデルタール人の骸骨が発見されたことを記念した図柄というわけである。

ネアンデルタール人は現生人類 (Homo sapiens)の亜種 (subspecies)、あるいは同じヒト属 (Homo) に属する別の種(species) のいずれかとされ、いずれにしろ、現生人類と非常に近い間柄にある存在であるが、今から3万年前後前には絶滅したとされる。コインの絵からも分かるように、ネアンデルタール人の頭蓋骨は、現生人類のそれよりも潰れて横長の形をしている。そして、脳の容積は現生人類よりも大きいらしい。

ネアンデルタール人の骨が最初に発見されたのは、1829年、ベルギー(当時はまだオランダの一部)のエンギスという土地の洞窟の中からであった。ジブラルタルのもの (Gibraltar 1と呼ばれる) はこれに次いで二番目に古い時代に発見されたもので、1848年にフォーブズ・クオリー (Forbes’ Quarry) という石切り場において発見された。これらが発見された当時は、この骨がどういったものなのかということは不明で、ジブラルタルで発見されたものは「古代人」(an ancient human) の骨と言われていたらしい。

その後、1856年には、ドイツのデユッセルドルフから東に十数キロ行ったところにあるネアンデル谷において、3例目の骨が発見された。ちょうどこの発見の数年後にはダーウィンの『種の起源』(1859年) が出版され、この骨についても進化論的な観点からの研究がなされることとなり、その過程で、類人猿と現生人類の間に位置するものかとも考えらえるようになったという。一方、1863~1864年には、ゴールウェイ(アイルランド)の大学で教えていた地質学者 William King が、この骨の主はヒトではあるがHomo sapiensとは異なる種であるとし、この種に対して Homo neanderthalensis という学名を提案した (1863年は口頭発表の年、翌年は論文出版の年)。King の説・提案の影響下で、やがてネアンデルタール人という呼び名が定着したようである。

このような経緯で、この(亜)種にはネアンデルタールという名が付いているが、Gibraltar 1 の方が約8年早く見つかっていたということを考えれば、世が世ならこの(亜)種にジブラルタル(の地名)に基づく名前が付いていたなどということもあったかもしれない。いずれにしろ、ネアンデルタール人の骨が世界で2番目に早く見つかった土地であるということを考えれば、ジブラルタルのコインにネアンデルタール人の頭蓋骨の絵が用いられるのも理解できる。

なお、ネアンデル谷の名前は、ここを好んで訪れていたJoakim Neander というドイツの牧師の名にちなむNeander と、「谷」を意味する Thal (> 現代の綴りでは Tal = 英語 dale) から成る地名らしいが、Neander という名前は、ドイツ語のNeumann (= 英語Newman) のギリシア語訳に由来するという。New man という名前の付いた谷で、かつて「古代人」と呼ばれ太古の昔に滅んだヒトの骨が見つかったというのは、何とも奇遇な気がする。



■  ■ 次のページ >>



1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
カレンダー
10 2019/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
フリーエリア
最新CM
最新TB
プロフィール
HN:
唐澤一友
性別:
男性
自己紹介:
中世英語英文学や英語史を専門とし、駒澤大学文学部で教えています。さらに詳しくは、ホームページをご覧ください。
バーコード
ブログ内検索
P R
Designed by TKTK
PHOTO by mizutama



忍者ブログ [PR]